学ぶ会は、ラーニングファシリテーション、ラーニングデザインについて学び、発展させ、共有する場です。ファシリテーション、デザインは「人は、どう学習しているか?」というラーニングの定義を土台にしています。
今日は、この「ラーニングの定義」について、一緒に考えていきましょう。
分野によって違う、学習の定義
私たちは、普段、言葉の定義など気にしていません。文脈上に、なんとなく共有できればOKとして、言葉を使っています。ところが、より厳密に何かを共有しようと思えば、この「曖昧性」を減らす必要があります。
数式で表すことなどは、その最たる例です。
あなたは「学習」という言葉を、どのように定義していますか?
学習とは、勉強のこと。学校などで教わること、習うこと
学習とは、退屈なこと。コツコツやるもの
このような捉え方をしているかもしれません。
生物学では、学習とは「人や動物が生まれてから、同じような経験を何度も重ねることで、周りの環境に合わせて行動を変えていく仕組みのこと。特に人間の場合、他の人々と一緒に生活していく上で必要なほとんどの行動は、このような経験を通じて身につけている」と定義しています。
心理学では、学習とは「今までの経験を通じて、その人の行動の仕方が長く続くような形で変わること。新しい習慣が身につくこと」と定義しています。
教育学では、学習とは「新しいことを学んで知識を増やすこと、感情をより深く豊かにすること、良い習慣を身につけることなどを、自分で意識して、努力し行動すること」としています。
分野ごとに違う定義をしています。
定義が、教育アプローチを決める
学習をどう捉えるか?によって、教育アプローチは大きく異なります。
例えば、教育学の定義を使って考えてみましょう。教育学の定義は、以下のとおりでした。
“新しいことを学んで知識を増やすこと、感情をより深く豊かにすること、良い習慣を身につけることなどを、自分で意識して、努力し行動すること”
自分で意識することが定義に含まれているので、「夢を持って努力しよう!」や「怠けるな、努力しろ、勤勉であれ」と叱咤激励することになります。あるいは、「キャリアパスを描いて、そこから勉強する」ことを重要視します。
親御さんならご存知だと思いますが、最近の小学生は「キャリアパス」と名付けられたものを何年も継続して記入します。私は、小学生に「キャリアいる?」って思っています。なぜなら、20年後、彼らが仕事を始める頃には、今はない仕事や、職業がたくさんあるでしょう。AI、デジタル、世界の様子もどんどん変わります。転職や、副業や、パラレルキャリアも当たり前になるでしょう。
それなのに、今から「どんな職業に就きたいか?」なんて、考える必要はないと思っています。もちろん、考えたい子供がいたら、考えたら良いです。全員にさせる必要はありません。
子供に「将来、何になりたい?」って聞いたら、「ワカラーン(大阪弁)」と言えば、そうか、OKとすべきだと私は考えています。しかし、教育学の定義では、これでは「意識がない」とみなされるでしょう。
このように「定義」によって、教育のアプローチは、方向づけられます。
学ぶ会での学習の定義とは?
学ぶ会(toiee Lab)での学習の定義は、以下のとおりです。
「複雑適応系」が活性化していること。「複雑適応系」とは、多数の要素が相互に影響し合いながら、環境に適応して変化していくシステムであり、人の脳や身体は、まさにこの複雑適応系であり、常に環境と相互作用しながら変化している
このような定義をしています。
意味不明かもしれませんが、複雑適応系と呼んでいるものを深く理解すれば、ラーニングファシリテーション、ラーニングデザインの効果を高める具体的なアイデアをたくさん考え出せるようになります。
ただし、複雑適応系を、複雑系の科学の専門家のように、高度に理解する必要はありません。
いくつかのポイントだけを理解できれば、それで十分です。
複雑系の科学と、複雑適応系
複雑適応系の考え方は、「複雑系の科学」から生まれました。
複雑系の科学は、要素還元主義の限界を乗り越えるための視点とも言えます。要素還元主義的に説明できない現象を捉えるための視点、考え方、アプローチを「複雑系の科学」と総称しています。
地震について考えてみましょう。
ほとんどの地震学者は、地震予知は不可能と考えています。その根拠に「複雑系の科学」を使っています。ニュートン物理学、デカルトから始まった自然界、世界の見方は、非常にシンプルです。予想ができ、明確に数式化、言語化できる世界です。この世界観は、中世の暗黒時代に光を当て(啓蒙:En-lightment)、人々を自分で考えるように仕向けました。
要素還元主義によって、様々な分野が発達しました。さらに、一部の科学者、思想家は「いずれ、あらゆることを解明できる。予測できるようになる」と信じていました。
しかし、20世紀前半には、量子という微小な世界での現象が観測され、予測ができないことが、数学的にも証明されました。さらに、観測技術が高まり、コンピューターが生まれる中で、「はっきりとしたルールに従っているのに、予測ができなくなる」という決定論的カオスという現象も確認されました。
これらの特徴は、「1つ1つの要素は単純でも、それらが複雑に相互作用することによって、小さな変化が大きな変化につながることがあり、それを予測するのは、ほぼ無理(初期値敏感性)」というものです。
地震はまさにこの現象です。
地層は単純ではありません。様々な硬さのものが積み重なっている上、綺麗に積層されているわけではなく、波打っています。さらに、岩石の分布もバラバラでしょう。どこかの断層が動くと、それによって、隣の断層が動くこともあるでしょう。一方で新しい断層ができるかもしれません。その断層が、大きな断層につながって、新しいのに大きく裂けてしまうこともあるかもしれません。
これらは「恐ろしいほどに、複数の要素が絡み合っている」のです。
例え、細かく調査して、観測すればするほど、要素が増えて、コンピューターシミュレーションにかけると、予測ができなくなるという、一見矛盾した(矛盾したと感じるのは、要素還元主義だからです)状態になります。
天気予報も同様に、複雑なモデルにすればするほど、どんどん当てるのが難しくなります。
このような最先端の科学や、科学の視点である「複雑系の科学」を土台に、人のラーニングを捉え、そこから、どうすれば良いか?を考えるのが、toiee Lab、および学ぶ会で共有していくラーニングになります。
オルタナティブ教育の人は、ピッタリ
複雑系の科学は、幅が広く、様々な分野があります。例えば、カオス理論1つとっても、深掘りすれば、様々な用語、数理モデルが出てきます。これらを理解する必要はありません(なんとなく知っておくのは、有益です)。
この最先端の科学的な視点は、シュタイナー教育や、モンテッソーリ教育などの理念に基づき、現場で試行錯誤してきた先生たちには、「言語化する土台」を与えてくれるはずです。
シュタイナー教育のアプローチは、「知・情・意」のバランスのとれた発達を目指し、子ども一人一人の個性を尊重しながら、自立した人格の形成を支援することとされています。
これを具体的に、どうしたら良いか?と考えた時、1人1人は個性があるという前提に立っています。そして、その個性を伸ばし、人格が形成される(するのではなく)と考えているため、上から教えるよりは、寄り添って支援し、育むことになります。
これは、複雑系の科学でいうところの創発の概念が当てはまりやすいです。
同様に、知識を教え込むのではなく、育もうとして、試行錯誤した結果、生まれるアプローチは、おそらく「複雑適応系」のシステムを活性化させていると言えるもののはずです。
逆に、受験教育、落ちこぼれを出さない失敗させない教育は、要素還元主義の考えが、ピッタリ当てはまります。要素還元主義が当てはまるのは、単純な機械です。相互作用や、フィードバック制御機構がない仕組みに当てはまりますが、人という「複雑系」には、フィットしません。
このような違いについて、「学ぶ会」では、一緒に深めていければと思っています。
まとめ
現代教育は、失敗でありません。現代教育のアプローチは、識字率を高め、人類の基礎知識のベースアップを実現しました。しかし、そのアプローチでは限界に来ているだけです。
現在の世界、これからの未来をより良いものにするには、もっと多くを学び、複雑性や多様性を理解する必要があります。世界をより深く理解するためには、違う教育アプローチである「複雑系の科学」をベースとした世界観の教育を提供する必要が出てきたと考えています。
受験教育や、受験合格のための「生物学的な学習定義」のアプローチは、過剰なほど成熟したと思います。だからこそ、その問題が明らかになっています。
これから、新しいパラダイムに基づいた、新しい教育の方法を、一緒に考え、実践できればと思っています。
私は、理論家であり、実践家の一人として、そして良き学習者の一人として、情報発信を続けていきます。
今後を、お楽しみに!