知識社会と言われて、久しい現在、一般教育(学校教育など)のあり方は、変わる必要があります。また、子育てをする親も、意識の変化をする必要があります。
数年おきに、新しく追加される分野(ダンス、コミュニケーション、パソコン、プログラミング、英語、そしてAI。次はアート?)に加え、徐々に高度な内容を教える必要が出てきています。
この流れを止めることはできませんし、止める必要はないと考えています。
なぜなら、私たち人の持つポテンシャルは、まだまだ底には達していないからです。もっと可能性を活かすには、「知識を与える」という役割から、「学びを手助けする」役割へのシフトが求められます。
このシフトについて、一緒に考えたいと思います。
教育の二つの側面
教育には、2つの仕事があります。
知識を与えること
学びをサポートすること(ラーニングファシリテーション)
教育において、最初は「2. ラーニング・ファシリテーション」が重視されます。その後、近年発達した「1. 知識を与える」に移行し、ラーニングのサポートは減っていきます。
就学前の子供達は、言語能力も低く、直接的な体験から多くを学ぶ状態です。したがって、保育士の方々は、「体験」と「彼らの内面で感じること」を大切にし、それを育みます。
その後、子供たちの言語が発達するにつれて、教育は学びをサポートすることから「知識を与える」方へとシフトします。授業は、先生から生徒への情報伝達がメインとなります。あるいは、知識というよりは「正しい答えに至る、正しい手順を覚えさせる」ことへ移行します。
10年以上かけて、「知識を受け取る」という姿勢を育んだ後、「知識を渡すことに専門特化した大学」へ進学します。
多くの大学では、「1. 知識を与える」ことが、教える立場の役割だと信じられています。さらに、教える側は、「受け身になっているのは、生徒の責任であり、彼が自分の責任で、自分で学びを作るべき」だと考えている人も、少なくありません。
自分で問題定義をし、自分で必要なことを学ぶ教育への兆し
このような現状は、変わる必要性が訴えられてきました。例えば「生きる力」という教育指針は、
不確実な未来に対して
自分で問題設定(目標を決めたり、新しいチャレンジを決めるなど)し
必要なことを、次々と学び
知識や技術を生み出し、解決する
このような力を養う教育を目指しているのだと思います。
この目標を達成するのに役立ちそうな、新しいテクノロジーも次々と生まれました。
例えば、出版の拡大により手軽にさまざまな本を買ったり、図書館で借りれるようになりました。また、コンピューター、インターネットによりもっと情報へのアクセスが行いやすくなりました。玉石混交ですが、YouTubeなどの動画配信プラットフォームによって、「知に触れやすい環境」は、ますます拡大しました。
しかし、これらのテクノロジーは「正しい答えと、正しい解答を導く手順」の世界の教育、先生側が決定した範囲、深さの知識を与えるためにも、使われ、教育のパラダイムそのものを変えることになっていません。
しかし、その現状は、いよいよ変わらざるを得ない状況になりました。
知識を伝えることの限界
かつて教師が「知識の源泉」でした。学校の先生が説明したこと、教科書の内容が正解だと多くの子供が考えていました。しかし、時代が進み、学校の先生よりも高学歴な親も増え、その状況は変わりました。
子供達は、手を伸ばせば、自分の興味関心を深められる時代にいます。
コンピューターそのものに興味を持てば、チップについて、素材について、その裏側にある量子論について、知ることが可能です。さらに、コンピュータープログラミングについても、自分で学ぶことができます。
もし、彼らが自分で興味を持ったことを、「自ら調べ、吸収すること(つまりラーニング)」を手伝うことができれば、どこまでも、深く学ぶことができます。
AIを手渡せば、AIを使って自分の知りたいことの全体像や、参考文献を調べる手立てを得ます。本当なのか?と疑うこともできます。そして、もっと多角的に調べることにも繋がります。
こうなると、あっという間に生徒の方が「先生よりも知識がある」状態になりかねません。彼らが頼りにする知識の源泉は、すぐそばにいる先生ではなく、「その分野の専門家」です。
専門家が書いた書籍、YouTube、インターネット記事が「知識の源泉」になる時代は、もう到来しています。学ぶ側や、教える側が変われば、今日からでも、新しい学びの世界への扉は開きます。
彼ら(学習者)にもっと権限を与え、自分の興味を深める自由と責任を与えるべきです。そして、知識の伝達者の役割を降りるべきです。あなたが、その適任者であるとしたら、特定の分野の専門家であることが条件となります。
しかし、ほとんどの先生は「専門家」ではありません。
本来、教師が行うべきことに集中する
では、先生は不要なのでしょうか?あるいは、役割は縮小すべきなのでしょうか?いいえ、むしろ逆に「本質的で、重要な使命」を実行するべきです。
それは、 「ラーニング・ファシリテーター」 として、学習者のラーニングを支援することです。この考えは、学校の先生だけではなく、親にも当てはまります。
これからの教師、あるいは親に求められるものは、
人が、どう物事を学ぶのかを理解しておくこと
学習者の興味関心を伸ばすことを励まし、深く、遠くへ手を伸ばすことを手伝うこと
彼らが興味関心を満たすために、どうしたら良いか、具体的な行動を手伝うこと
高い目標を持ちつつも、目の前の発見、学びを喜ぶこと、楽しさを大切にすること
などです。
残念ながら、現代の多くの教育は、上記の4つと正反対のことをしているように見えます。これは、生徒にとっても、先生にとっても、辛い経験だと思いますが、安心してください。
AIの登場によって、いよいよ、「知識を与える役割」を降りさせられることでしょう。そして、人間が人間に対してできること、人間でないとできないことが、一番の仕事になります。
それが「ラーニング・ファシリテーション」です。
オルタナティブ教育から学べる
上記のような概念は、すでに何十年、あるいは100年以上前から、実践されてきたことです。その多くは「オルタナティブ教育」と呼ばれています。
例えば、マリア・モンテッソーリは、今でいう自閉症スペクトラムを持つ子育てにおいて、彼らが興味関心を持ったできごとに没頭することを手助けすることで、彼らが落ち着き、症状が緩和したり、他のものに興味を持つようになることを発見しました。
そのアドバイスを受けた親は、自閉症ではない兄弟、姉妹を同じように育てたところ、彼らの成長スピードや、知識・技術の習得、その後の人生の進め方が、他者とは大きく違ったという予期せぬ成功から始まりました。
つまり、この親たちが行ったことは「ラーニングファシリテーション」の1つだったと言えます。
同様に、何かと日本では注目を集めるシュタイナー教育では、成績テストで評価するのではなく、何か創造的なアウトプットを行います(点数をつけるわけではないし、評価もしない)。
学校側から求められた回答をする必要がないため、各人が自分で課題をきめ、深い理解、深い探究心を育むことを第一とする環境が整っています。
そして、現在、新しい科学である複雑系の科学などによって、オルタナティブ教育が実践していることを、体系的なものとして捉えることが可能になっています。
今、必要なピースは揃いました。
必要なことは、単に、別の道を歩み始めるだけです。その一助として、私は、私が知り得たことを、ここでお伝えしていきたいと考えています。
まとめ
随分前から「学習者中心」で、知識の伝達は、身近な教師ではなく、専門家から得られるようになっていました。その障壁は、年々下がっていき、最終的にAIという形で、小学生でも可能なレベルまで、障壁が下がりました。
さらに、複数の研究分野の発達のおかげで、「ラーニングをサポートする、ラーニングファシリテーション」も、経験や直感だけに頼らず、理解できるようになりました。
一緒に、ラーニング、ラーニングデザイン、ラーニングファシリテーションを学ぶ場として、ここを活用していきたいと思います。
お楽しみに