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現代社会は、「教育」に関して、あるパラダイムを持っています。
パラダイムとは、一時代の人々のものの見方、考え方、前提になっているもののことです。パラダイムは、当たり前と思っていて、意識にも上っていないもののことです。
私たちが持つ、教育のパラダイムは、「教育とは、教えること」「教育は、教えられること」というものです。
これを「ティーチング・パラダイム」と呼びます。
ティーチング・パラダイムでは、教育の使命、目的は「知識や技術を与えること」で、その主体は教師、教育側にあります。教員を増強、研修することで、伝達する知識の質を高めようとします。また、教える範囲や、教え方を工夫するだけでなく、偏りが出ないように標準化します。
今の小学校の多くは、どの教室も、どの先生も「同じ教え方」と「同じ進捗」をします。個性が大事といいながら、教え方や、進捗を固定するのは矛盾があります。
またティーチングでは、学習者の成長を数値で測ろうとします。
テストなどを用意し、それを使って学習できているか判断します。テストに合格できるように、ステップを分解し、攻略方法を「教育側」が考えます。そして、訓練をさせて、覚えさせます。
正直、学習者側からすると、苦痛で、退屈でしかないでしょう。
一方で、このような方法でも、一定の効果を発揮できていたからこそ、支持されてきました。しかし、この状況が大きく変わり始めています。
増え続ける教育範囲と、高度化する内容、要求
現在、教育に求められるものが、次々とアップデートされています。
論理思考
パソコン、IT
プログラミング
ダンス
英語
コミュニケーション
政党の理解(参政するためのものとして)
さらに、最近登場した「AI(人工知能)」にも、範囲が伸びていくでしょう。AIの浸透に伴い、それとは反対の「アート」に関しても、学校の範囲になるかも知れません。
情報(IT)の指導要項を読むとわかりますが、とてもじゃないですが、学校で扱える範囲を超えています。この範囲の知識・技能は、社会人でも持ち合わせていないでしょう。逆に言えば、そこから「好きに選んで、それぞれの学校で実施しても良い」のかも知れません。あるいは、この範囲を自分で学んでいけるように、生涯学習の基礎を作ることを目的としているのかも知れません。
とにかく、「情報」の科目だけでも、膨大な範囲です。
これだけの範囲のものは、ティーチング・パラダイムでは、解決することはできません。そこでまずは、ティーチング・パラダイムとは何か?を考えてみましょう。
ちなみに、他の教育科目も同じです。本来、学校の授業時間でカバーできるものではありません。カバーできているように見えるのは、試験問題があり、正解を出せれば理解したことにするという、間違った指標に達するから、範囲をカバーできていると思い込んでいるだけです。知識に終わりはなく、広大に広がっており、それを必要に応じて広げていくのが、学ぶことです。
ティーチング・パラダイムとは?
ティーチング・パラダイムは、問題を解決する方法も「教える」をベースにします。例えば、
教えるべき内容が増加する
教えるべき内容が高度化する
となると、
効率的に覚える方法を「教育側」が考える
テストに出やすい場所と、その記憶方法(語呂合わせなど)を「教育側」が分析して、提示する
間違いやすい場所を、重点的に練習する問題を「教育側」が作って、提供する
このような方法を取ります。
日本で一番売れている小・中学生向けの教材の1つの中身を見ましたが、驚きました。「1年生の1学期中間試験の理科は、こうすれば攻略できる!」という冊子を出していました。その中を見ると、この学区だと、どのような内容が出題されるか、その出題に応えるための覚え方を用意してくれていました。
ちなみに、覚え方は、語呂合わせです。
このようなものは知識ではありません。知識とは、他の知識と深く結びつき、広大なネットワークを作っているものです。そのネットワークの枝は、次々と、他の枝と繋がろうとして、日々進化しています。それが知識です。
語呂合わせで覚えたものは、単なる「点」であり、試験が終われば忘れます。世界を豊かに見る視点すら得られません。こんなものに、時間をかけるのは、ナンセンスだと思います。
しかし、これが「ティーチング・パラダイムの究極系」でしょう。
現在だと、冊子ではなく、コンピューターに置き換わりました。LMS(ラーニング・マネジメント・システム)と呼ばれるプログラムによって、学習者の正答率を分析し、問題データベースから、特定の問題を何度も出題するようになりました。もちろん、解説は「覚え方」などでしょう。
このようなパラダイムの延長に、AIが搭載されてることを考えると、「自分で学びを作れない子供達」を育てることを強化しているようにしか見えません。
そして、それは「悪循環」を生み出します。
ティーチング・パラダイムの悪循環
以下の図のようになります。
増加し続ける範囲と、内容の高度化があります。それに対して、ティーチングパラダイムだと、教えるための効率的な方法や、テクノロジーを考えます。この時、主体となるのは学習者ではなく、教育側です。教育側が分析し、解決策を考えます。そして、その方法を使うことで、学習者が、将来のためにやるべき「自分で、学びを創造する」機会を奪い、その楽しさを奪い(無自覚に)、トレーニングを提供します。
そして、見かけ上の成績が上がりますが、学習者は、学ぶ能力が高まったわけではありません。私が「弱い学習」と呼ぶ、もともと持っているものを使っているだけなので、そこまで能力は伸びません。1
さらに、成績に表れたということで評価されるため、「教育側のいうことを聞こう」となります。結果、学習者は受動的な状態が強化されます。受動的になると、理解力も、記憶力も下がります。与えられていない範囲を学びません。結果として、教える側の負担がさらに増えていきます。
つまり、教えれば教えるほど、どんどん状況が悪化していくということです。
大学でリメディアル教育を提供すること自体には、反対はありませんが、その方法がティーチング・パラダイムであるかぎり、問題は解決しません。これから学ぶものとの関係性なしに、基礎的な教育内容を詰め込んでも、頭には入らないでしょう。
では、どうしたら良いでしょうか?
ラーニング・パラダイムへシフトする
From Teaching to Learning という古い論文で示されているように、「ラーニング・パラダイム」へ、考え方を変えていくことです。2
ラーニングパラダイムでの主体は、教育側ではなく、学習者です。外からの評価ではなく、学習者の内面世界が、どう豊かになっていくのか?を見るように努力し、それを支援し、さらに活性化させることです。
具体的には、「ラーニング」を促進するという意味での、「ラーニングファシリテーション」技術を使います。ラーニングファシリテーションは、学習者の学ぶ力、意欲、創造性を活性化させるアプローチです。
彼らにもっと疑問を持たせ、自ら問いをさせ、その答えに対して、手を伸ばそうとさせ、それを手伝います。
一見、難しそうに見えますが、実は簡単です。
なぜなら、我々人間は、本来「ラーニング」が基本だからです。学習とは、脳の変化だとすれば、自分で再構築する以外に方法がありません。
コンピューターであれば、外部から知識としての動作を与えることができます。与えたら、その通り動きます。しかし、私たち人間(生物)は、外部からの刺激、繰り返し、環境などの情報を脳で処理し、その結果、脳を変化させます。つまり、学習は「内面で、自発的に起こるもの」です。
学習とは、主体的にしか起こらないものです。
全ての人は、「ラーニングの能力」を内に秘めています。その能力は、ずっと眠ったままですが、一度活性化させ始めれば、どんどん成長します。教えられるアプローチよりも、強力に発達します。
「学ぶ会」でやっていくこと
この「学ぶ会」は、ラーニング、ラーニングファシリテーション、ラーニングデザインを学ぶ会です。
現代社会において、自分の人生を創っていくためには、「ラーニング」については、必須科目だと思います。
我々は、どう学んでいるのか?
我々は、どう学ぶと喜びを感じるのか?
我々の学習のメカニズムに合わせたら、どう行動すると良いのか?
知識とは、どういう構造なのか?
などを深めていくことは、全ての基礎になります。
学ぶ会で、一緒に、深めていければ、きっとワクワクする未来につながると信じています。
それでは、また。
弱い学習とは、モデルフリーシステムと呼ばれる「パターン認識」や「無意識領域での行動の最適化」による学習のことを指しています
From Teaching to Learning — A New Paradigm For Undergraduate Education, Robert B. Barr &John Tagg, Pages 12-26, Published online: 08 Nov 2012
確かに、確かに...。
ホント、AIが進化している分 アプリのToolへの学び方が必要ですね。